選択肢は人としての財産です。ただそれは個人の価値観、基準の下選ぶことができなければ宝の持ち腐れとなります。
先日ヒートという映画を観ました。
ロバート・デニーロ、アル・パチーノ共演のクライムサスペンスです。

素晴らしかった。
劇中印象深かったのが、 登場人物それぞれの運命の岐路とも言える決定的瞬間の場面。
ヒリヒリ、ジリジリ、また鉛のようにズッシリとした緊張感があります。 こちらはその人物になったかのように感情移入してしまい、祈るように最良の選択(私の価値観からの)を期待してしまうのですが…
良し悪しは抜きにして皆それぞれ全て自分を中心に選択、決断します。
ここでの決断は周囲の人もその結果に影響される、巻き込まれる…
それらの決断の責任も含め、誰あろう、自分の生き方を、命の使い方を選ぶ場面なんですよね。
誰かに選ばされたのではない、自分で自分の人生を選ぶ。

これこそ自分の人生を生きていると言えるのではないでしょうか?
これは胃がキュッとなるような重さも感じられるかもしれませんが、自分で選び取った人生は実感と手応えがあります。
これは生きがい感ににも繋がります。
そしてこれらの選択、決断は自分の価値観が反映されます。
だから自分の価値観がハッキリ明確になっていなければ、 その選択、決断は他からの影響(主に他人)で選ばされてるかもしれません。
決断と責任を他者に委ねる、心の負荷から逃れることはできるかもしれませんが、はたしてそれはほんとうに生きていると言えるのか?
これでは人生の実感、手応えが得られないかもしれません。
今回のヒートの登場人物は、結果はどうあれそれぞれの人生を生ききったように思います。
あなたはどうですか?
これは特別なことでなく、日常で日々起こっていることです。
今日の、今の、この瞬間の決断は、ほんとうのあなたが下したのものなのか?
仕事においても人生においても、その手応えは自分が選び、決め、その責任を負った時に得られます。
その時の基準となるものがあなたの価値観。
あなたは自分の価値観を認識してますか?
このコラムを読んでなにか感じたら、今一度自分の価値観を確認すべく自らと対話してみても良いかもしれません。
ウェルスダイナミクスはあなたが何者かを見極める助けになり、ソース原理はあなたを中心とした影響の広がりをイメージできるようになります。

